どの神社でもだいたいそうだが、例祭の当日は境内に神気が満ち溢れているものだ。しかしそのなかでも特に強くなる時間帯というのがないのかと思っていると、祝詞奏上の場面に行き当たった。
神職が氏子の代表らとともに、正面の石段を登り神門から玉垣の内側に入ってくる。そして拝殿に上がり、居ずまいを正して祝詞の奏上をはじめる。
実は祝詞奏上の前に、いろいろうやうやしい作法があるので、神職が拝殿に上がってもすぐに祝詞の読み上げがはじまるわけではなく、数分間ほど間がある、というか、待っている身としてはいらいらするほどになかなかはじまらないものだ。
しかし、神職が拝殿に上がり、氏子一同が着席して、いよいよこれからだというあたりから、実際に祝詞の読み上げが始まらなくても、場の雰囲気が変わってくるのだ。
そういうわけで、学校でよく教わる、予定の時刻の5分前までに集合がエチケットだというのは、まあ根拠のないことではないということになる。
ちなみに、日本の神様は神社に常駐ということではなく、こちらが呼べば降りてきて、儀式が終われば去っていくというのが基本だ。だからこそ、古代には野外での磐座祭祀のようなことが行われていて、社殿というのは後付けでつくられたものだ。
神社、さらに古い時代の磐座というものは、いわば神界と交信するためのアンテナ、目印のようなものということになる。
しかし、ただのアンテナだからといって、たとえば東京タワーやスカイツリーが他国から飛んできたミサイルで破壊されたならば、普通の日本人ならば黙ってはいないだろう。例のマンション業者による越木岩神社の磐座破壊などもだいたいこのようなものだ。