2015年8月2日日曜日

神社で写真撮影をするのは悪いことなのか(2)

神社仏閣での写真撮影がはばかられるもうひとつのパターンとして、拝殿のような「人間が祈るための場所」ではなくて、古代の磐座、奥宮などの、神がじかに降臨する場所として区画されているところがある。

神域はひじょうに清潔に掃き清められているのに、磐座に近づいて撮影をしようと思ったら、なぜかその途中に動物の死骸が落ちていて行く手をはばんでいるとか、どんなに道を進んでも迷ってしまって目的の場所に行きつけないとか、何度か経験をしたことがある。

磐座のようなところといっても、すでに山登りの観光ルート化されているなどして、別に撮影しても何事も起こらないところも多いといえば多いのだが、本当に穢れを持ち込んではいけない聖地のようなところは、やはり何か警告がある場合があるので、素直に従ったほうがよい。

さきごろ兵庫県西宮市の越木岩神社に関連して、地元業者がマンション計画を遂行するために磐座の破壊を強行しようとして、地元で反対運動が起きているという話を聞いたが、まず間違いなく磐座には手をつけるべきではないと思う。

さらに言えば沼津の高尾山古墳だって一方で文化財保護を訴えながらまたどうして手をつけるつもりなのかと思う。

神様といえば柔和な存在を勝手に思い浮かべてしまうが、日本の神様には和御魂と荒御魂の二面性があるということに加えて、どうも正式な祭神以外にも、神社や仏閣、さらには歴史的な有名人の墓地などには、さまざまに守護をする存在がいそうなのだ。

社長がどんなに温和な人でも、ビルの入口にいる警備員は屈強でコワモテの存在であるように、神社、仏閣、墓地などの入口の番人のような存在も、人間が平伏したところで申し開きを素直に聞いてくれるかどうかはわからない。

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