2015年8月10日月曜日

神社に呼ばれるとは(3) 多賀大社

これも 神社に呼ばれるとは で書いたことの焼き増しのようなものだが、理詰めで考えたら別に行く必要など何もないのになぜか特定の神社に行きたくなるとか、意識しないままになぜか特定の神社の方向に足が向かっていたとかいう感覚が、いわゆる「神社に呼ばれる」ということになる。

多賀大社の場合、さきに書いた豊川稲荷のような強引さはないのだが、やはり寄り道をしながらドライブをしていると、彦根インターのあたりで必ず日が暮れて、宿泊→朝に多賀大社に参拝、という流れになったり、近くを通ったのでどうしても参拝しなければならないようにな気になったり、といったことが多かった。

ここも国道8号や名神高速のインターなどからはやや外れた位置にあるが、案外といつ行っても観光バスなどが止まっていたりして、それなりに人気があるのだろう。

多賀大社の御祭神はイザナミ、イザナギだが、この多賀の地は国産みを終わって余生を過ごした場所、『日本書紀』にいう幽宮(かくりみや)であるといわれている。もっとも『日本書紀』は淡路島の多賀のことを指しているのではないかという説もある。

社殿は昭和になってから建てられたものらしいが、檜皮葺でなかなか気品があるし、境内の雰囲気もクリーンなので、私に限らず万人にとって良いのではないかと思う。

社殿の脇のほうは森に覆われているが、そのなかに金咲稲荷という小祠があり、ここも雰囲気が良いのでいつもお参りしている。名前の通り金運向上には良さそうだ。もっとも、その割に私が貧乏をしているのは解せないが。

この多賀大社には、参拝者の記名簿のかわりに、拝殿の脇あたりに名前と住所を書くハガキ大のカードが設けられていて、箱に入れておけば後で行事の案内などが郵便で来るようになっている。このことはいずれブログに書こうとは思うが、「夏越の祓」のようなものも郵便で受け付けてもらえるので便利だ。

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