2015年8月14日金曜日

生霊について

今ではデジタルカメラが普及したおかげで低調だが、銀塩写真全盛のころは心霊写真がよく撮れたものだ。
不自然に白い陰が写っていたり、何もない空間から手が複数出ていたりといったものだ。
しかし、こうした心霊写真が死霊の仕業かといえば、実際のところはそうでもなかったようだ。
死霊の仕業でなければ何かというと、いわゆる生霊の仕業ということになる。

人間の意識の力というのは実はけっこうなもので、相手に恨みの気持ちを持てば、それが生霊化して相手に取り付いて悪さをする。
具体的に何をするのかといえば、何もないはずのところで転ぶとか、普通ならあり得ないミスをして仕事に穴を開けるとか、いきなり病気がちになるとかが主なものだ。
『源氏物語』の六条の御息所ではないが、実は恨みだけではなくて、恋心、あるいは恋愛絡みの嫉妬心などでも生霊化はしやすい。

感覚が鋭敏な人であれば、体の一部が何かに乗り掛かられたように重いとか、磯の臭いや何かが腐敗したような臭いのような、あまり良くない臭いが自分の周りで漂っているとか、重油かなにかのようなネトネトしたものがまとわりつくとか、ちょっとした変化を感じるかもしれない。

心霊写真で存在が明らかになるように、この生霊というのは割とはっきりした形があって、それは幽霊とたいして変わらないというか、むしろより鮮明であるかもしれない。
さらにやっかいなのは、その形ある存在に対して、当人から恨みなり嫉妬なりというエネルギーが、絶えず注ぎ込まれているということだ。

野外のイベントなどで、子供が中に入れるような、ピカチュウか何かのエア遊具を見る機会は多い。
あのエア遊具というものは、空気を抜いてしまえばたいしたことはない、ただのがさばるビニル袋のようなものだが、送風機で空気を送り込むと、たちまちに巨大化してしまう。

生霊などもこれと同じで、本体はたいしたことはなくとも、エネルギーが常に送り込まれるというあたりで、エア遊具が巨大化するように、いつの間にか侮れない力を発揮するようになってしまうのだ。

生霊を飛ばすというのは、実は別に本人が呪いの儀式のような特別なことをしているわけではない。
それこそ無意識のうちに、というのが正しく、意外と簡単に飛ばせるし、誰でも実は少なからず生霊を飛ばすに近いことはしていたりもする。

最近話題の「恋人の聖地」なるものも、商業的に後付けで作られたものは、生霊の宝庫というか、実はあまりよい気がする場所ではない。
「結婚は人生の墓場」とはよく言うが、恋愛感情の半分くらいは実は独占欲の固まりであったのかというのをまざまざと見せつけられるというか、女は怖いというか、まあそんな場所だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。