前に「神社に呼ばれるとは」のブログで書いたなかでも、お祭りに呼ばれるというパターンもある。何にしてもめでたいことだ。
栃木県のはずれのほうに大前神社(おおさきじんじゃ)という神社がある。この神社は延喜式式内社、要するに平安時代の初期から国家に掌握されていた神社のひとつで、かなり歴史の古い神社ということになる。
たまたまこのあたりを通りかかったときに、大前神社の看板を見て、どうしても参拝したくなった。正確には二回ほど素通りしたのだが、どうにもお参りしないと気持ちが悪くて、三度目の正直で、道を引き返して参拝することになった。
当日はどうやらお祭りの日であったらしく、多数の車が駐車場に駐車していたし、法被を着たこどもたちの姿も見かけられ、たいへん華やいだ雰囲気があった。
「秩父神社」のブログでもちょっと書いたが、この時期なぜか平氏がらみの神社などを参拝する機会が多く、特に平将門がらみで、たとえば何の気なく地下鉄の出口を出たら将門の首塚が目の前にあったとか、平将門をまつる神田明神であったなどということがあった。
実は秩父平氏の初代は平将門の娘の如春尼(春姫)を母としており、血縁的に大きなつながりを持っている一族にあたる。
大前神社は、平将門が承平天慶の乱を起こすにあたって、社頭で戦勝祈願をした神社ということになっている。
ここは周辺は宅地開発が進んでいるものの、神社の隣に五行川という川が流れていて、鎮守の森もあり、環境的には良い場所だと思う。だいたい良い気を持つ神社というのは、水と森がセットになっているものだ。
「日本一えびす様」として、恵比寿神の大きな像を掲げた境内社もあり、あまりにも胡散臭い感じがしたのでつい引いてしまったが、後から考えると便乗してお参りしておけばよかったかもしれない。なにしろ宝くじで高額当選した人が奉納した神社というのだから、私のような貧乏人こそお参りするのにふさわしい。
ところで、お祭りのほうだが、私はあからさまに余所者なので、どうも地元の人にじろじろ見られているような視線というか、感覚があったので少々居心地が悪かったが、神職の祝詞奏上の段になると、場の雰囲気が変わるというのがちょっとおもしろかった。
私はお祭り騒ぎというのはあまり好きなほうではないのだが、とりあえず感謝をして辞去することにした。そのうち機会があれば、落ち着いたときにまた参拝したいとも思っている。
ところで、私のような貧乏人がなぜ全国の神社仏閣を訪れることができるのか怪しんでいる人もいるかもしれない。これでもお金に余裕があった時代もあったということもあるが、もうひとつ理由がある。お金がなさすぎて、さる筋に追われて全国を逃げ回って、行く先々で神頼みをしていたのである。さる筋がどの筋かなど、怖くてとても書けない。
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