2015年8月13日木曜日

三族誅滅の思想(1)

三族誅滅というのは中国や朝鮮半島では「よくあること」であるが、日本においてそこまでのことはまず考えられない。
しかし、たとえば特定の家系を断絶させるというような考え方は、昔ならばまだあり得たのではないかと思う。

柳田国男はわが国の伝統として「家永続の願い」があったというが、それならば憎い相手を呪うときの合言葉は「お家断絶」だろう。
短甲を着て直刀を振るう古墳時代の幽霊などはまず見た人はいないだろうが、戦国時代あたりくらいの人間ならば、まだ恨みを忘れかねて成仏できないという魂魄はまま見られるところだ。

常陸国の江戸崎城だったか、何かの工事のときに、たまたま戦国時代から江戸時代ありたと思われる人骨が30体ばかり発掘されたが、それには通常の戦闘ではあり得ない、据物斬りでもしたと思われるような刀傷をもつものが多数見つかったという。
そのなかには明らかに10歳くらいの子供(当時の子供の概念に含まれるか微妙だが)とおぼしき人骨もあったという。
このあたりは明智光秀の出身地として知られる美濃国と同じく、土岐氏の一族の領地で、佐竹氏によって滅ぼされているが、つい何百年か前には凄惨な話も実際にあったということになる。

現代社会で憎い相手を呪うとすれば、その人が病気にでもかかるか、借金地獄に陥るか、地位を失うか、色街にでも沈むかといったことを望むのだろうが、戦国時代、江戸時代のはじめ、このあたりの殺伐とした時代であれば、家を断絶させるという選択のほうが、より感覚的には自然であったかもしれない。

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