2015年8月5日水曜日

前世の私に逢いに行く(4)

前世催眠は、前世が正しいものではなく、単なる空想の産物であったとしても、理屈としてはいっこうにかまわない。

クライアントが抱えている不安なり劣等感なりを、前世のある出来事のせいにして、その出来事は現世の自分にはもはや関係がないのだとクライアント自身が納得しさえすればよい。

その結果として、現実を困難にしている不安や劣等感は消え去ることになるので、事実か空想かにかかわらず、前世催眠の目的は達成される。

それでは結局、私が見た前世は事実なのかどうなのかというと、理詰めで考察してみると、けっこう微妙な点がいくつもある。

たとえば、世の中には三一書房から出ている青木虹二の『百姓一揆総合年表』のような便利な書籍があるが、江戸初期の津軽半島で該当するような百姓一揆は見つからない。

有名なものでは義民・藤田民次郎が首謀者として斬首された「民次郎一揆」があるが、江戸時代の後期であり、場所もちょっと違っている。

津軽藩の刑場も、初期の頃はたしかに複数あったらしいが、基本は弘前市内の現在は住宅地になっている一角だったらしく、海沿いのような場所ではない。

そう考えると、リアルな記憶ではあったが、単なる妄想という可能性は捨て切れない。

ところで、催眠療法の効果はあったのかということだが、何か纏っているオーラが変わったのか、その後しばらくはやたらと知らない他人に声を掛けられることが多くなったのと、気分が軽くなったというのはあったが、結局は根本的な悩みの解決には至らず元通りとなったので、それ自体には一時的な効果しかないのかもしれない。





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